フィリがとてつもなく憔悴した時の話

はじめに

どうもこんにちは。プラタジ&カペー家に関する外国語文献ガバ日本語訳シリーズです。
今日はずっとずっと探していた「ジェフリの葬儀の際、憔悴しきって墓穴ダイブしようとしたフィリ」の記述をついに掘り出した。どの文献を見ても出典がなかったりサラッと触れているのみだったので大変だったが、ラテン語が一番のハードルだった。

出典について

タイトル: “De instructione principum : Libri III”
著者:Giraldus Cambrensis
デジタルアーカイブURL:https://archive.org/details/giralduscambrens03girauoft

出典は”Giraldus Cambrensis”ことウェールズのジェラルドによる「鏡文学」と呼ばれるキリスト教的視点からの君主向け教育書”De instructione principum(君主の教育)”の第3巻より。上記URLよりスキャンPDFデータをDL可能。

一点だけ注意点ですが、この書物の作者である「ウェールズのジェラルド」は反プラタジ家・親フランス傾向が強め……というのを念頭にお読みいただければと思います。

ラテン語原文

 Ad cumulum quoque vexationis pariter ct doloris, paucis postmodum annis, mitigato paulisper temporis beneiicio tanti mceroris incommodo, cum laxata parumper tam inquietudine quam angustia jam aliquantulum respirasset, (quoniam nulla longseva est terrena tranquillitas, et quoniam semper extrema gaudii luctus occupat,) Gaufredus Armoricae Britanniae Comes inclytus, ob discordias similiter inter ipsum et fratrem suum, Pictavise Comitem, Ricardum, super tcrrarum suarum finibus implacabiliter exortas, a patre jam tertio, quia primaevi fratris fautor extiterat, ad Philippum Ludovici filium jam in Francia pro patre regnantem ex toto discessit.
 Haec etenim fuerat Regis Henrici natura perversa, quod summo opere discordias inter filios suscitabat et fovebat, solum sibi ex eorum discordia pacem sperans et quietem. Comes itaque Gaufredus adeo Philippi Regis procerumque Franciae cunctorum sibi jam animos allexerat, ut unanimi omnium voto Seneschallus Franciae crearetur. Qui cum in tanta jam potestate, tantaque Regis familiaritate constitutus fuisset, adeo Francorum Regem totamque Franciam communiter in patrem suum et fratrem verbis persuasoriis, ut erat eloquentissimus pariter et amantissimus, jam excitaverat, ut inquietudinem tantam, quantam, nisi morte preventus fuisset, antea non viderant, eis procul dubio comparasset. Cum etenim jam in armis posita, fundata quidem firmiter sed et inchoata fere turbatio tanta fuisset, Comes Gaufredus eodem quo et frater antea morbo acutissimo, sc, febrili calore, letlialiter correptus, infra paucissimos dies, cum Franciae totius Regisque praecipue dolore permaximo, Parisius circa kalendas Augusti rebushumanis exemptus est. Rex etenim Philippus tanto fuerat in morte ipsius et tam desperabili mcerore confectus, ut in ecclesia Parisiensi cathedrali, viz. Beatae Virginis, et principali quoque coram altari, ab ipso in honoris pariter et amoris signum Comes jussus humari, exequiis jam solemnitate exactis, cum in funebrem fossam terra claudendus extrema demitteretur, se ob vehementiam doloris una cum ipso in tumbctm hiantem nisi violenter a suis retractus fuisset, praecipitare parasset.
 Porro prae omni dolore patris dolor incomparabilis erat ; non enim erat dolor sicut dolor ejus. De priori nempe filio dolorem beneficio temporis jam sopitum, dolor iste sequens resuscitavit ; quoniam et tunc crudescere vulnera cceperunt quibus cicatricem diuturnitas obduxerat. Ictus quippe novissimus etiam veteres plerumque plagas dolore rescindit ; vulnus enim animi quod tempore et ratione curatum est, commemoratio rursus exulcerat. Unde et effectum est ut qui modo cum filiisvivere non poterat, sine filiis vivere jam recusaret. O quam dura, quam aspera sors ; quia de tantis patri pignoribus nihil omnino poterat nisi vel morte mceror, vel vita vexatio provenire ! Num et illud Osee huic adaptari potest : Si genuerint filios, absque patre faciam eos. Et infra : Quod si genuerit, interficiam amantissima uteri eorum.
  ――Giraldus Cambrensis”De instructione principum : Libri III” p.33-34

ガバ日本語訳(意訳・補足あり)

 苛立ちと苦痛という重荷に加え、数年後、時の経過によってその甚大な悲しみによる苦痛がひとまず和らぎ、不安や苦悩も多少和らいで少し息をつくことができた頃(この世の安らぎは長くは続かず、また喜びの極みには常に悲しみが続くものだからである)、 ブルターニュの著名な伯爵ジェフリーは、自身の領地とポワトゥー伯リチャードとの境界をめぐって生じた不和は和解の余地がなく、父からすでに三度目の完全な決別を遂げていた。彼は真っ先に弟を支持し、父ルイ7世に代わってすでにフランスで統治していたルイの息子フィリップの側についたからである。
 というのも、ヘンリー王の歪んだ本性とは、息子たちの間の不和を全力を挙げて煽り立て、助長することであり、彼らの争いから自分だけが平和と静けさを得られることを望んでいたからである。それゆえ、ジェフリー伯はフィリップ王およびフランスのすべての有力者たちを味方につけることに成功し、彼らの満場一致の賛成により、フランスの家令(セネシャル)に任命された。彼は、これほど大きな権力を握り、国王との親密な関係を享受していたため、その説得力ある言葉――彼は極めて雄弁であり、かつ極めて情に厚かった――によって、フランス王およびフランス全土を大いに煽動し、父と兄に対して反旗を翻させた。もし彼が死によってこの世を去っていなければ、これまでにないほどの動乱を引き起こしていたことだろう。というのも、これほど大きな動乱がすでに進行中であり、確固たる基盤を築きつつ、かつほぼ始まろうとしていたまさにその時、ジェフリー伯は数日後に、兄(若ヘンリー)と同じ急性かつ致命的な熱病に倒れ、8月のカレンダ前後(1186年8月19日)にパリでこの世を去ったからである。これはフランス全土、とりわけ国王にとって、この上ない悲しみとなった。フィリップ王は、彼の死、とりわけその突然の死に深く打ちひしがれていたため、パリの大聖堂、すなわち 聖母マリア大聖堂(現・ノートルダム大聖堂)、それも主祭壇の前で倒れてしまった。王は、敬意と愛情の証として、伯爵をそこに埋葬するよう命じた。そして、葬儀の儀式が執り行われ、伯爵の棺が墓に下ろされようとしていたその時、王は激しい悲しみのあまり、もし家臣たちに力ずくで引き止められていなければ、棺の横にある開かれた墓穴の中に自ら身を投じようとしていたほどであった。
 しかし、何よりも父ヘンリーの悲しみは比類なきものだった。彼ほどの悲しみは他にないからである。この新たな悲しみは、時間の経過によってすでに鎮まっていた長男(若ヘンリー)への悲しみを再び呼び覚ました。それ以来、年月が癒やし、覆い隠していた傷が再び疼き始めたのである。いわば、最新の打撃は往々にして古い傷口を再び引き裂くものである。時間と理性によって癒やされていた魂の傷は、その記憶そのものによって再び激痛を伴うからだ。それゆえ、かつて息子たちと共に生きることを叶えられなかった彼は、今や彼らなしでは生きることを拒むようになったのである。ああ、なんと過酷で、なんと苛酷な運命であろうか。父としての数多くの誓いから生まれたものは、死における悲しみか、生における苦悩かのいずれかしか得られなかったのだから!ホセア書の次の言葉も、この事態に当てはまるのだろうか。「もし彼らが息子を産んでも、わたしは彼らを父のない子(=孤児)とする」。さらにその先には、「もし彼らが産んだとしても、わたしは彼らの胎の最も愛する者を殺す」とある。

ざっくり解説&所感

 あっさりとフィリについたジェフリー、フィリどころかフランスの有力者を味方につけて家令(セネシャル)にまで至っているのは相当に気に入られている。それほどに彼が人身掌握に長けている証左であるのかもしれない。それは後に続く「もし彼が死によってこの世を去っていなければ、これまでにないほどの動乱を引き起こしていたことだろう」というくだりからも伺える。しかし熱病に侵され、急逝します。これは先日扱った”Gesta Philipi Augusti”で詳しく語られていますが、本題はここから。
 フィリ、とんでもなく打ちひしがれている。ノートルダム大聖堂の主祭壇の前で倒れてしまい、そこに埋葬するように命令。それに加え、葬儀が執り行われている最中、棺がおさまる墓穴に「自ら見を投じようとしていた」と。力尽くで止めた家臣大変だっただろうな……そしてフィリの「激情に突き動かされる一面」も垣間見えて、よき……

 まさかヘンリーⅡ世も悲嘆に暮れていたとは。文中にもあるように、若くして世を去った若ヘンリーのことも思い出してしまったようだし、死因も「熱病」と一緒だったから尚更。「かつて息子たちと共に生きることを叶えられなかった彼は、今や彼らなしでは生きることを拒むようになったのである」とありますが、事実3年後、ジョンがリチャに寝返ったのを踏まえると、皮肉というか哀しみというか……

 文末、ホセア書とありますが新約聖書を構成する文書の一つ。そしてラスト2文はそこからの引用です。よりにもよってこのあたりをチョイスするとは……

「 たとい彼らが子を育てても、わたしはその子を奪って、残る者のないようにする。わたしが彼らを離れるとき、彼らはわざわいだ。」(『ホセア書』9:12、口語訳)
「エフライムは撃たれ、その根は枯れて、実を結ばない。たとい彼らが子を産んでも、わたしはそのいつくしむ子らを殺す。」(『ホセア書』9:16、口語訳)

 それにしてもウェールズのジェラルド、この項目でのジェフリーにはちょっと甘い気がする。ジェフリがフィリのお気に入りだったからか……?

参考サイト

口語訳聖書,最終閲覧2026/09/09 https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
ヘッダー写真:Caroline Attwood(Unsplash)

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